2026年6月28日
主日礼拝

エゼキエル3626節: わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
石の心、肉の心とは何でしょうか。石は、モーセ律法が刻まれた石(コリント3:7-9)。神は「聞きなさい」と言って律法を与えたのに、民は「行います」と答えました。この態度こそ石の心ではないか。石の心は、立派なようで神様に悲しまれる心です。肉は、イエス様が十字架で裂かれた肉 (ヨハネ6:53-55) 。イエス様は、自らパンを裂いて使徒たちに与えたように、十字架において自ら肉を裂いて私たちに与えてくれました。それを食べれば、肉の心を持つことができます。肉の心とは主のみことばを「聞きます」という、神様に喜ばれる心、まことの律法であるイエス様の心です。ピリピ2:5文語訳 汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。               (中山Y)

②ヨハネ33節:人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。
主イエスがニコデモに言われたのは、新生についてです。ところが、学識ある教師であったのに彼は理解できません。そこで主は、モーセが荒れ野で蛇を上げた民数記21章の事例を語ります。それによって彼が新生を理解したかどうかは、何も記されていません。以前「あなたは新生しましたか」と問われ、「はい」と直ぐに答えられない私でした。理由は自分を見て、聖書の言葉を根拠にしていなかったからです。信仰は、自分ではなく十字架のキリストを信じて仰ぐことです。ニコデモは以前の私の姿でした。それは世の姿でもあり、そんな世を「神はその独り子をお与えになったほどに」愛されたのです。世とは、神を知らない異邦人だけではなく、宗教的なニコデモも含みます。放蕩息子の譬話に登場する兄とはファリサイ派を指しているからです。           (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-06-28 中山Y兄、浜田兄(11:00))