やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。…」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。 (創世記50章18~21節)
ヨセフ物語の中心は、上記聖句に見られる「私たち人間の罪と愚かさを償って余りある神の救いと赦し」にあります。兄たちはヨセフに悪を企み実行しましたが、神はそれを善(救い)に変えられました。仕返しを恐れる兄たちに、ヨセフは優しく語りかけています。この時、17歳のときの夢が、文字通り実現します。兄たちは心からヨセフを拝し、ひれ伏したからです。この感動的な場面は、更に17年前にもありました。ヨセフが兄たちに、自分は弟のヨセフだと明かし、涙ながらに、「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、そうしたことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をここにあなたたちより先にお遣わしになったのです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が私を今の地位に就けてくださったのです」と語ります。(創世記45章4~8節)
神は人間の犯す罪さえも、救いに変えてしまう。しかし、ヨセフと同じように言える人がいるでしょうか。むしろ反対に恨みを抱いたまま、決して許さない場合が多いのではないか。それに値する酷いことを、ヨセフはされたのだから、仕返しされても不思議ではない。兄たちはそう考え、ヨセフを恐れました。そんな兄たちに向かって、ヨセフは赦していることを伝えようとしました。その姿は、イエス・キリストを指し示しています。十字架の上でイエスは7つの言葉を口にしていますが、その最初が「父よ、彼らをお赦しください」でした(ルカ23章34節)。何の罪もないお方、神の子であるイエスを十字架で殺す罪は、決して赦されないものでした。だから、イエスは十字架の上で、真っ先に、その罪の赦しを祈りました。そして、人間の犯す最大の罪悪さえ、人を救う善に変えられることを示しました。それが、十字架による救いです。
