兄たちは相談した。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」 (創世記37章19,20節)
17歳のヨセフが語った夢が、物語の始まり。兄たちにとってヨセフは生意気で忌々しい弟。我々も父も家族全員がヨセフの前にひれ伏し、拝む夢。一体、何様の積りだ。兄たちは皆そう思いヨセフを憎んだ。殺意を抱くほどでした。ヨセフの夢は、どうなったのか。その結末を私たちは知っています。兄たちは平身低頭心からヨセフにひれ伏します。最初は、ヨセフだとは知らずだったが、知った後も、ヨセフの前でそうしました。17歳のヨセフが見せられた夢は、人間的には有り得ないように思えたとしても、神が与えた夢は必ずその通りになります。冒頭の聖句は、ヨセフが語った夢を聞いて憎んだ兄たちの言葉。本当に殺すつもりであったから、殺されずに済んだことは主の守りの故だが、見知らぬ外国に奴隷として売られたヨセフには、夢も希望も全く見えません。だが神は彼を離れず、傍らに居ました。その神が、夢を実現へと導かれた。どのようにしてかを、これまで記して来ました。そして、最後に今、これまでの全てを振り返っています。
「アメリカン・ドリーム」とは、成功者が抱いた夢の総称。どん底からいかに這い上がり、頂点に達したことが語られます。その背景には、インドに見られる階級社会(生まれつき身分が定まっている)ではなく、新しい自由な社会のアメリカでのこと。丸太小屋で育った極貧の少年リンカーンが、大統領となって奴隷解放と言う大きな仕事をした例がその一つ。夢の実現だけではなくて、最下層から一番上にまで、一代のうちに駆け上がることを言う。ヨセフが奴隷から国のトップにまで駆け上がったのは、長いエジプトの歴史において特別な時期、ヒクソスと呼ばれるエジプト人ではない外国人が王になった時代だったから、可能になったこと。そうした中にも神の摂理が働いている。人間的な努力だけでは実現はしない。かといって運が良かったというレベルでもない。いずれにしろ、神が与えた夢は必ず実現します。そのことをヨセフは示しているのです。聖書は私たちにも夢と幻を与えます。幻=ヴィジョン。私たちも大きな夢と幻を持ちたい。幻がなければ民は堕落する(箴言29章18節)のです。
