2026年6月14日
主日礼拝

ヨハネ450節:「帰りなさい。あなたの息子は生きる」とイエスは言われた。その人はイエスの言われた言葉を信じて帰って行った。
 領主ヘロデアンテパスに仕える役人が、命に関わる重篤な病気に罹った息子の癒しを願ってカナにおられる主の許へ行った。私自身の経験からもこれは凄いことだと思う。なぜなら、ヘロデは主を迫害する権力者。この事実が知れれば、役人はタダでは済まされないと思うからだ。それなのに、彼を決断させたものは何か。子を思う親の愛と共に、彼のもつ富や地位、名誉は何の力もない、主に頼るほか治すすべなしと思ったのだ。さらにカナの婚礼でのように、奇跡を起こしてくださると思ったのかも知れない。世に奇跡を見たら信じるという人も多い。しかし、彼の期待に反して、主は「息子は死なない。安心して家に帰れ」とただひと言言われただけだった。それが冒頭のお言葉だ。でも、役人はそのお言葉を受け入れ、一抹の不安を抱きつつも、カファルナウムへの帰途についた。もし、私たちが役人の立場だったら、素直にこのお言葉を信じただろうか。何かの証拠を求めはしなかったか。ところが、役人は迎えに来た僕たちと出会い、息子の病が癒されたことを知った。しかも、主がお言葉をくださったのと同時刻だったという。この聖書個所を読んでヘブライ11章のお言葉を示された。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」なのだ。私たちはとかく自分の知識や経験によって物事を判断し、解決しようとする。でも、主が私たちに求めておられるのは主ご自身への信頼であり、主のお言葉には力があることを実感して、お言葉をそのまま受け入れることなのだ。本当の信仰をあらためて教えられた。   (人見)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-06-14 人見兄)