2026年5月31日
主日礼拝
①ヨハネ3章16節:福音の真理が凝縮され、本書の目的とも合致する黄金の聖句から、永遠の命について少し示されたこと。独り子をお与えになったの「与える」という動詞が、10章では、良い羊飼いは羊のために命を「捨てる」と訳されています。神が愛する御子を世の罪を取り除く神の小羊として捨てられた意味を示され、父神と御子の愛と苦しみが胸に迫ります。また、一人も滅びないでの「滅びる」もルカ15章では、失われた羊、無くした銀貨、いなくなった息子…と、神が失われた人間の姿を表し、神に背き消え失せた者を、命を懸けて探し求められた主イエスの愛と喜びの命の内に生かされる恵みを示されます。キリストの内にある永遠の命は決して罪を犯すことはありませんが(一ヨハネ5・18)、私の身体の命、性質は不信仰な過ちを犯す弱い者です。故に、御子イエス・キリストの執り成しによって生きたいと祈ります(2・1)。 (柴川)
②ヨハネ1章1~5節:初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
90歳のヨハネは、若き日に信じたイエスを言(ことば)と表現しました。弟子として共に歩んだ日々、十字架の下に立った記憶、復活の主との出会い等を幾度も思い返し祈った。そして気付いた。あの方は単なる先生ではなく、それ以上の神であったのだと。創世の初めから、神と共に働かれていたお方。私は知らずして、その創造主と共に歩んでいた。そこで言という表現で言い表したのです。非常に印象的な書き出しです。ヨハネにとってイエスは、今も言として語りかけてくださる神なのです。命の光として、今も世の闇の中で輝いています。文頭の言葉は、永遠の世界へと私たちを導きます。まさに永遠の初めから言として、この世界を見つめておられたのです。ヨハネの震えるような実感が伝わってきます。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-05-31 柴川姉、浜田兄(23:00))
