2025年12月7日
主日礼拝

創世記1章2節:地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。  1節には、永遠なる神の先在と、天地万物の創造(言ことば、意志によって造る)された神の宣言があります。最近新聞のオピニオン欄で生物学者の記事「私たち生物は一つの細胞(地球が誕生し、自己複製する有機物が生成されて細胞となり)が進化し植物や動物などに分かれていった…」を読み、科学とは領域を異とする聖書の冒頭の聖句を思い起こす。地は宇宙、混沌は形なく秩序なき状態、動いていたは覆い動いていたの意。特に動いていたの動詞は、申命記32章11節だけに用いられていて、鷲が巣の上を飛びかいと訳され、覆って守り、羽を広げて雛を乗せて飛び立つように民を愛をもって守り導く、と。今も混沌とした世界の上を聖霊が覆い、主の再臨と新天新地の時を待っておられるのです。私たちも聖霊が注がれ、新しい命を与えられた。       (柴川)

ルカ2章8~14節:神の御子が人となられたクリスマス。マリアの胎に宿られ、家畜小屋で生まれた。その知らせを最初に告げられたのは羊飼いたち。なぜ、この人たちだったのか。羊飼いは当時の社会では救いから除外されていた。だから「あなたがたのために救い主がお生まれになった。その救い主は飼い葉桶の中に寝ている。これがしるしです」と天使は告げました。クリスマスには贈り物をし合いますが、それは神が私たちにその独り子を与えてくださったから。罪の虜にされている私たちを贖い、解放するための愛の贈り物です。神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。そして、闇夜を照らす光として、明るい生き方を示して下さった。20節:羊飼いたちは…神を崇め、賛美しながら帰って行った。私たちもそのようでありたい。        (浜田)

讃美歌112番:平和の君なる 御子を迎え 救いの主とぞ・・・。

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-12-07 柴川姉、浜田兄(22:00))