1、マタイ2章2節:わたしたちは…星を見た…。
神さまは、イエスさまのご降誕を羊飼いたちとは違う方法で伝えられました。それは星の導きでした。
博士たちは星に導かれてエルサレムまで」やってきたのです。もし、神さまを知らない博士たちがいきなり天使から御言葉を聞かされても、その意味を理解できず、度に出ようとは思わなかったでしょう。神さまは博士たちが関心をもつ星を用いて、イエスさまに愛に行きたいという思いを起こさせられたのです。
先月、「家の教会セミナー」を聴講しました。伝道はまず、相手が関心のあることを通して、親しい間柄になり、相手の気持ちに配慮しつつ、徐々に御言葉を語ることが大事だという趣旨でした。私は、これは神さまのなさり方と同じだと気づいたのです。
でも、博士たちはエルサレムで御言葉を示されるまでは、会うべき方がメシアで、場所はベツレヘムだとは解りませんでした。ここに「星」の限界があります。御言葉がないと「エルサレム止まり」になってしまうのです。
御言葉を与えられた博士たちには、もう「星」の導きは不要でした。ベツレヘムでイエスさまと出会い、心から喜びにあふれた博士たちは、新しい道を通り、自分たちに与えられた異教の地へと帰って行ったのでした。ここには同じく異教の地に住む私たちが福音を語るヒントがしめされていると思いました。(N・H)
讃美歌21 175番 (数に足らぬ わが身なれど 見捨てず)
(ひとこと)
常緑樹のクリスマスツリーは永遠の命を象徴しています。リースは、終わりもなく欠けもない円形で永遠の象徴です。ツリーの頂にある星と共に、イエス・キリストを現わしています。集会所の玄関に飾るのは、そこでイエス様が私たちを歓迎してくださっているからです。
◎「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。」(マタイ1章23節) *インマヌエル=神は我々と共におられる。
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2020-12-06 N・H兄)