父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(マタイ5章45節)

杉並区に「救世軍ブース記念病院」があります。隣接して救世軍の教会が建っています。その働き人の家の玄関ドアに貼られている言葉を見たとき、足が止まりました。こう書かれていたからです。
誰の上にも 太陽をのぼらせ 雨を降らせてくださる 神の恵み
縦に4列にして書かれていました。これは、冒頭の聖句からで、主イエスの言葉です。更に、ドアの下部にある郵便投函口のすぐ上に、
今日「いてくれて ありがとう」と、書かれていました。郵便配達者への労(ねぎら)いが込められています。たまたま歩いていて見つけたのですが、胸にジーンと来ました。

どんな人にも神は、自然の恵みを分け隔てなく与えられます。雨がAという正しい人の畑には降って、Bという悪い人の畑には降らないということはありません。それは、神が天の父だからです。そしてイエスは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えます。自分には敵かも知れないが、その人にも家族があり、本当は優しい人かも知れないからです。これは相手の立場に身を置いて見る、視点を変えて見てみることを教えています。自分も敵であったとき、神からそうしてもらったのだから、人にも同じようにすべきなのです。

私は20歳の時、主イエスを信じましたが、仏教の家に育ちましたから、キリスト教やイエス・キリストとは関係なく生きていました。後で分かったのですが、その生き方は「神なく、望みなく、さまよいし我」(聖歌451番)でした。そんなときでさえ父なる神は、太陽と雨の恵みを私に与えて下さっていたのです。それだけではありません。独り子イエス・キリストさえ賜わり、身代わりの死である十字架の恵みを備えてくださっていたのです。そう気づいて、冒頭の聖句を読み返しています。(2021年6月29日)