ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。(創世記37章5節)
17歳の時、自分はどうだったかを振り返りつつ。
ヨセフは神が彼に見せた夢を鮮明に覚えていて、十人の兄に話します。「畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました」。更に、「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と11の星がわたしにひれ伏しているのです。」と、今度は父母にも話しました。すると、父は、「わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか」と言って、息子ヨセフを叱ります。兄さんたちは、この夢のことでますますヨセフを憎み、その生意気さに我慢が出来なくなります。しかし、父ヤコブはこのことを心に留めた、とあります。その意味が分からない夢の話であったとしても、です。
その夢は22年を経て現実となり、多くの人が救われるのですが、そこに至るには幾つもの山河を越えねばなりませんでした。そんなことなど知る由もないヨセフは、兄たちや他の人の気持ちを考え、思いやる配慮に欠けていました。未熟だったのです。それが17歳の現実であり、甘やかされて育った結果でした。自分を制する力が不足していました。何でも思い通りになったからです。その非は、父ヤコブにもありました。大変複雑な大家族、その中でヨセフにだけ特別な晴着を与えたからです。その上、兄たちの不満に火を付けたのがヨセフの語った夢でした。今まさに悲劇が起きようとしていたのですが、それも神の遠大なご計画の始まりでした。知らないのは当事者だけでした。
聖書には幾つもの物語がありますが、その中で一番私の心を捕らえたのが、ヨセフ物語です。彼の歩みを辿ると、何千年もの昔ではなく、今起きていることのように読めます。箱入り息子として育ったヨセフは、人生の大波に投げ込まれることが必要だったのです。彼は、十字架と復活のイエスを型となっています。彼が見せられた夢は、苦難を経た後に実現します。そして最後に、人間の犯す罪と悪をさえ神は善に変え、多くの民の命を救います。それを伝えるのがヨセフ物語です。17歳のヨセフを思い描きながら、続けます。