御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。 (コロサイ1:15、16)

私たちはイエス様の言動を通して、父神様がどういうお方かを知りました。イエス様は、すべてのものが造られる前からおられます。この世の中で、私たちの目で見えるものも見えないものも、人間の王座、主権、支配、権威も、すべては、イエス様によってイエス様ご自身のお働きのために造られ、成り立ち、存在しています。

コロナ禍と戦う各方面の動きを、毎日マスコミを通して見ていて、私が思うのは、世の中の大多数の人が、天地万物の創造主ですべてを御支配なさっておられる唯一の神様を知らず、或いは知ろうともせずに、ただ自分の知恵に頼って、懸命にコロナ禍問題の解決を図ろうとしていることです。それぞれはこの世でとても尊い働きをされているのですが、しかし神様の目からご覧になれば、それは残念な、神様を無視した行為なのです。これらの働きが神様から喜ばれ祝福されて、自分が思う以上の成果を上げるためには、これらの働き人が、神様を信じて信頼し、自分の分別には頼らず、常に神様を覚えて仕事をすることが必要です(箴言3章5節)。

神様が与えてくださった聖書を読めば、私たちは神様を知ることができます。しかし神様を知りたいという強い欲求がないと、人は神様のもとには来ず、聖書を読もうとしないでしょう。人は解決したい重い悩みを抱えた時にしか、真剣に神様に目を向けないかも知れません。それも、神様を喜んでいるキリスト者に身近に接した経験が少しでもないと、神様の所に来ないかも知れません。ですから、神様から信仰を与えられ、救って頂いたキリスト者は、毎日読み進める聖書を通していつも神様の素晴らしさに感動し、与えられている約束を確認して喜び、自分の日常生活を通して、絶えず周りにキリストの香りを発散する者でありたいです。これが伝道です。 (S.K.)