暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ。 (マタイ4章16節)

700年前に預言者イザヤが書き記した言葉を読みマタイは主イエスに於いて実現した、と書いた。暗闇の中に住む民、死の陰の地に住む者とは、ガリラヤの住民を指す。その中心が湖畔の町カファルナウム。イエスは、風光明媚なナザレを離れて、そこに移り住んだ。なぜそうされたのか。そこが、暗黒と死の陰の地だったからである。これから記すことは、注解書には書かれていないが、勝手な解釈ではない。イスラエル旅行のガリラヤ湖畔で、ガイドから聞いた実話。

ガリラヤ湖一帯は亜熱帯気候で、湖畔には疫病のマラリアがよく発生した。それに罹患して、多くの住民が死んだ。中国の武漢市と同じく、疫病の発生地がカファルナウム。それゆえ人々は忌み嫌った。イザヤの時代だけでなく、繰り返しマラリアが発生し、多くの死者がそこに葬られた。だから、暗闇・死の陰の地と呼ばれた。イエスは大きな光として、また永遠の命として、そこに赴かれた。真の医者として、そのような場所に入って行かれた。この聖書箇所のそうした背景を知ると、主イエスのお姿(苦しむ者の苦しみを負い、哀れな犠牲者の死を十字架に背負われる)が鮮やかに浮かび上がって来る。その主は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言われた(17節)。悔い改めとは生き方の方向転換。世界は軍事力優先で進んで来たことを、また、自分たちの利益第一主義で、自然破壊を繰り返していることを悔い改める必要があります。即ち、罪の悔い改めです。それなしに天の国は来ない。

今、世界中が新型コロナによって苦しんでいる。医療従事者は懸命に働いているが、崩壊寸前と言われる。誰も先が読めない。こうした時こそ冷静な判断と悔い改めが求められている。闇と死を見るのではなく、大きな光と命の君である主イエスを仰ぎたい。

最後に、風評被害について。レビ記11章に食物規定があり、ユダヤ人はこの規定を忠実に守った。中世、疫病ペストが蔓延した時、ユダヤ人地区だけ罹患者が出なかった。食物規定が衛生的に人々を守ったから。すると人々は、ユダヤ人が川に毒を流したのが原因とのデマ(偽情報)を拡散し、迫害した。このことから、旧約の食物規定には神の愛があることを、改めて知った。それと同時に,デマに惑わされない冷静さが必要。