パウロ①:劇的な回心。
すると主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。」(使徒言行録9章11節)

 ダマスコ近郊で突然、強烈な光を浴び魂を揺るがす声に圧倒されます。彼の名を2度呼び、「なぜ、わたしを迫害するのか」と語りかけます。咄嗟に「主よ、あなたがどなたですか」と問い返すと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」との声が返って来ます。イエス?十字架で死んだあのイエスが生きている?私が迫害していたのは、何とそのイエスにつながっていたのか…。これまで正しいと信じて突き進んで来たキリスト者への迫害、それが間違っていたのか。様々な思いが錯綜し、混乱するサウロ。彼は飲食も忘れて、ひたすら祈っている。

冒頭の聖句は、主イエスがダマスコに住むアナニアに語りかけた言葉です。サウロが盲目にされた闇の中で、ひたすら真理を求めて祈っているのを、主は見ておられたのです。今、彼は祈っている。これは非常に印象的な、忘れられない言葉です。人が回心する時は、必ず祈りが伴います。復活の主イエスが、その魂に回心を迫るからです。この時、サウロは26歳位。狂気に近い熱心さで、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです」(使徒22章4節)。この道とはキリスト者のことで、彼らを殺しさえしたのです。このようなサウロをキリストは捕え、打ち倒しました。突然の出来事でした。同行した者たちに助け起こされ、サウロは目を開けますが、何も見えません。手を引かれ、ユダの家に連れて行かれます。そこで彼は飲食を断ち、3日間、真剣な祈りが続きます。そこに主はアナニアを遣わされました。アナニアは祈っているサウロを見つけ、「兄弟よ」と語りかけ、彼の上に手を置いて祈りました。すると、たちまち目から鱗(うろこ)のようなものが落ち、彼は元どおり見えるようになったのです。祈っていた彼の上に、アナニアの祈りが加わり、サウロは真理に目が開かれました。この時から、サウロの人生は大きく転換したのです。回心=180度の方向転換が起きたのです。その根底にあったのが、まさに祈りです。