2026年6月21日
主日礼拝

コリント信徒への手紙一9章1923節:福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。
パウロが示した真の自由と福音宣教の姿勢です。キリスト者の自由とは、単なる権利の主張ではなく、愛のために自ら「すべての人の奴隷」となる積極的な選択です。また、パウロの福音宣教は、信仰の核心を守りつつ、相手の文化や状況に柔軟に形を合わせる「文脈化」を用いたスタイルでした。そして、その動機は「救ってやる」という上から目線ではなく、「福音の恵みをあなたと共に分かち合いたい」という横並びの愛にありました。私たちも、福音のためなら自分を変えることをいとわず、他者と共に恵みを喜ぶ者とされるよう、祈り求めていきたいものです。       (小林)

歴代誌下2415-22節:若い王ヨアシュを守り育てた祭司ヨヤダが死ぬと、ユダの高官たちが王の前に来てひれ伏す。王は彼らの意見を受け入れ、偶像礼拝が復活する。祭司ヨヤダの篤い信仰はヨアシュ王に継承されなかった。このことは親や一人の指導者だけでは信仰は継承できないことを示しています。偶像礼拝には巨大な利権構造があったが、ヨヤダが生きている間は抑えられていた。だから彼が死ぬと直ぐ家臣たちは王に取り入ります。歴代誌下33章:マナセは12歳で王位を受け継ぐと、信仰深い父ヒゼキヤとは正反対のことをします。それでも神は最悪の王マナセを悔い改めに導く。それを記した歴代誌はバビロン捕囚後に書かれ「私たちの先祖も、王たちも失敗した」との重い過去を背負っていた人々に、「過去がどうであれ、今あなたが主を求めるなら新しい歴史が始まる」と希望を語った。信仰継承は、私たちにも課題です。  (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-06-21 小林兄、浜田兄(15:00))