2026年1月11日
主日礼拝
①列王記下8章5節:ゲハジは、「わたしの主君、王よ、これがその婦人です。またこれがその子で、エリシャはこの子を生き返らせたのです」と言った。列王記下4:8~37,8:1~6の話です。預言者エリシャと従者ゲハジがシュネムで一人の裕福な婦人に出会います。この信心深い婦人の最大限の親切に報いて、エリシャは彼女に男の子を授け、その子が死んだ時には蘇らせ、一家を移住させて7年間の飢饉から守ります。更に主なる神は、彼女に財産を取り戻させます。主は、聖書を読む私たちの信仰が成長するようにと、聖書の執筆者たちに様々な工夫や配慮をさせておられるのを、この箇所の記述からも感じます。聖書により、主への敬愛の思い、お救い頂いた感謝と喜び、主にお仕えしようとの思いを、更に強めさせていただきたく、全巻通読回数を増やせるようにお導き下さい、と祈っています。 (北原)
②マルコ14章36節:アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。この杯とは神の憤りの杯・審判の意、十字架の死(イザヤ51・17)。主イエスは十字架を前にして突然恐れ、悶えられ祈られた。三度ご自分の死と復活を予告され、最後の晩餐でも受難の意味をパンとぶどう酒によって示された主が、どうしてこの杯を避けようと願われたのか。それは全き神性と全き人性とを有する主がこの時、全人類の罪を負われた人間として神のみ前に立たれていた故に、サタンが最後の力で襲いかかったため。神の国と人類の救いを破壊し、神と主イエスの関係を断絶させようとする暗黒の力で。しかし、祈り続けた主は全能の神のみ心に適う道は他にないことを示され従順に決意された(ヘブライ5:7-8)。人がエデンの園で失った神への従順を、主はゲッセマネの園で回復された。そこに人のあるべき姿を学び、感謝。(柴川)
礼拝讃美歌395番:いつくしみ深き 友なるイエスは 罪咎憂いを 取り去り給う 心の嘆きを包まず述べて などかは下ろさぬ負える重荷を。
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-01-11 北原兄、柴川姉(29:30))
