2025年11月30日
主日礼拝
①大阪集会で相次ぐ召天があった。私は、悲しみの中でも礼拝に出席した姉妹方の信仰に励まされ、自身の喪失体験も重ねつつ「信仰とは何か」を考えさせられた。ルカ17章でイエスは、信仰は量ではなく、からし種ほどでも「ある」ことが力となると示す。律法の白黒思考に対し、神は旧約を通して愛と憐れみを示してきた。結局、信仰とは多さではなく神を信頼し第一にする姿勢であり、神は最善の結末へ導いてくださると教えられた。 (小山)
②聖書が一貫して語る神のメッセージは、「わたしはあなたと共にいる」です。そのため神の御座を離れ、ご自分を無にして人となられ(フィリピ2:6-11)、インマヌエル(神は我々と共におられる)お方として誕生されたのがイエスさま(マタイ1:23)。そのご生涯を終え、昇天される時、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されました。そして10日後に、聖霊として信じる人の中に降られました。
神であられたのに、その栄光の座を捨てて家畜小屋という低い姿で人となられたのは、驚くべきことです。それがクリスマス。感謝に耐えません。 (浜田)
③先週のルツ記2章の続き。ボアズはルツに細やかな「はからい」をした。でもそれは、「はからずも」神さまの私たちへの「おはからい」のひな型だった。その一つは主が私たちの内に住んで、近親者となられたこと(ルツ2:20、Ⅰコリ3:16)。二つ目は私たちのために十字架にかかり贖い主となられたこと(ルツ2:20、エフェ1:7)。その上、ご再臨の日に私たちを花嫁として迎え入れ(ルツ4:10、黙示21:2)、名を天に記して主の家系に入れてくださること(マタ1:5)。旧約聖書もまた、新約の主イエスさまを証しているのだ。 (人見)
礼拝讃美歌355番2節:主は御父の栄えの家 去りて暗き地に降れり 御国も位も 主は捨てたり 何ものを捨てて 我応えし。
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-11-30 小山兄、浜田兄(15:00)、人見兄(32:00))
