2025年6月29日
主日礼拝

モーセとバルジライという二人の80歳の人を取り上げます。モーセが自分は何もできないとわかった時,主はモーセを用いることができるようになりました。
出エジプト記3章12節:モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない
バルジライは自分の財産でダビデ王に仕えましたが,最後にキムハムを王に与えました。主が私達にして下さったことを思い起こさせます。
ローマ8章32節:わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 (中山C)                 

ローマ1214節:あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい
十字架上で敵の赦しを祈られた主の姿が、ここに示されています。。
15節:喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
私たちの喜びを自分の事のように喜び、私たちと共に泣かれました。主イエスは本当の友だから。私たちへの勧めですが、そのまま主イエスのお姿が示されています。
16節:互いに思いを一つにし、
私たちが相手と一つ心になって共感できるには、聖霊の助けが必要です。
高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。
蔑まれ、見下げられていた身分の低い人々=徴税人や遊女らの友となられ、食卓を共にされたのも主イエスです。ファリサイ派の人々は、そうした人々とは決して交わりませんでした。しかしイエス様は、天より降って身分の低い人々の友となられました。それだけでなく、私たちの罪を代わりに受けられ、私たちの不義の故に砕かれました。十字架のお苦しみは、私の為でした。ここに福音があり、ここに主イエスの姿が示されています。 (浜田)

 礼拝讃美歌355番 ♫わが罪ゆえ 君は打たれ わが不義ゆえ 主は砕かる 十字架の悩みは わがためなり いかなることもて われ応えし ♪

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-06-29 中山兄、浜田兄(00:00))