急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。「息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。そして、ゴシェンの地域に住んでください。…」 (創世記45章9-10節)
兄たちによってエジプトに奴隷として売られたことまた、それ以後、幾つかの試練に遭ったこと等すべての背後に、神の働きがあったとヨセフは語りました。人の犯した罪を神は逆手にとって、救いに変えられたのです。こうした理解をヨセフは、いつ示されたのでしょうか。それがいつなのかは聖書には書かれていませんが、「ある瞬間に突然気づいた」というより、長い苦しみのプロセスの中で、徐々にこの理解に導かれていったと思われます。そして、兄たちが目の前に現れた時(42~45章の間)、エジプトに売られたこと、王の夢を解き明かしたこと、そして、総理大臣の立場に置かれたこと、そうしたすべてが一つの物語として繋がった瞬間に気づいたと思われます。ヨセフの物語は理不尽な現実の中でも神は共におられること、すべての状況の背後に神がおられること、それゆえ、人の犯した罪と悪さえも、神は全ての事を働かせて益に変えてくださる(ローマ8章28節)と言えるのです。そのことをヨセフは兄たちに語りました。
「さあ、お兄さんたちも、弟のベニヤミンも、自分の目で見てください。ほかならぬこのわたしがあなたたちに言っているのです。エジプトでわたしが受けているすべての栄誉と、あなたたちが見たすべてのことを父上に話してください。そして、急いで父上をここへ連れて来てください。」(創世記45章12,13節)
唖然として半ば朦朧ととする意識に見えたから、ヨセフは兄たちにそう語りかけます。そして、弟ベニヤミンの首を抱いて泣き、兄たち皆とも口づけをし、抱き合って泣いたヨセフ。そして、兄弟たちと語り合った、とあります。もしヨセフが売られたことを恨み、兄たちを憎み続けていたら、こうした場面や前述の大きな気づきは生まれなかったでしょう。勿論、ヨセフも簡単に許したのではありません。兄たちを試して、苦しめたりもしています。しかし、そのことを通して、悔い改めて以前とは変わった兄たちの姿を見聞きしたのです。万事が益となるように共に働きました。
