10人の兄たちは目の前の相手が弟のヨセフだとは、全く気づかないで、次のように答えました。

「僕どもは、本当に12人兄弟で、カナン地方に住む、ある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」(13節)

ヨセフが知りたいのは、そのもう一人の自分のことを兄たちがどう考えているのか、でした。兄たちは、スパイと誤解され、必死で抗弁しています。ヨセフが意地悪をしているようにも思えますが、そうではありません。ヨセフの心の内には、愛憎が葛藤していたに違いないからです。兄たちを試しているのです。そして、末の弟をここに来させよ、と命じます。それまで3日間、牢獄に監禁します。その時、兄たちは互いに顔を見合わせて言います。

「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」  (創世記42章21節) 

20年前、弟のヨセフにした残酷な仕打ちを、兄たちは忘れてはいませんでした。あらぬ疑いをかけられ、殺されかねない恐怖を覚えました。すると、意識の底から、自分たちがヨセフにしたことが思い出され、その時の罰を今受けている、と異口同音に口にします。

すると、ルベンが答えた。「あのとき私は、『あの子に悪いことをするな』と言ったではないか。なのにお前たちは耳を貸そうともしなかった。だから、あの子の血の報いを受けるのだ」と言った。(4222節)

こうした兄たちの反応は、私たちも同じです。過去の罪が赦されていると確信できるまでは、罰を予想してしまいます。そのことに時効はありません。良心の呵責は程度の差はあっても、誰にも起こります。
兄たちは、ヨセフが聞いているのを知らなかった。まさか目の前にいるエジプトの高官がヨセフだとは、思いもしなかった。エジプト語を話し、エジプトの服を着て、しかも通訳を用いていたから全く気付かなかったのです。ところが、ヨセフには兄たちの会話が全部聞き取れていました。長男ルベンが陰でかばってくれていたことや、他の兄たちも自分たちのしたことを悔いていることを知ったのです。聖書はこう記します。「ヨセフは彼らから遠ざかって泣いた。」(24節)