彼女は、主人ポティファルが家に帰って来るまで、ヨセフの着物を傍らに置いていた。そして、主人に同じことを語った。「あなたがわたしの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。わたしが大声をあげて叫んだものですから、着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」 (創世記39章16~18節)
この時、ヨセフは28歳。エジプトに奴隷として売られて11年が経っていました。ポティファル家の奴隷として主人の篤い信頼を得ていました。そんな時、主人の妻から執拗な誘惑を受けます。誘惑に打ち勝つ方法は、消極的に聞こえますが、関わりを断つことです。自分は大丈夫との過信が一番危険です。そのことをヨセフは知っていました。だから、逃げたのです。しかし、それは女主人を激怒させました。本当は愛しくて憎い。彼女はヨセフの着物を引き裂き、踏みつけます。これまでは、自分の言う通りになる奴隷ばかりだったからです。
上記の聖句にある女主人の言葉は、事実とは違います。正反対です。しかし、彼女の手にはヨセフの着物があり、彼女の言葉を裏付ける証拠品とされました。仕事を終え、帰ってきたポティファルはうずくまっている妻を見ます。どうしたのかと尋ねると、涙ながらにヨセフの行動をまくし立てます。全部、うそです。しかし、主人の前に引き出されたヨセフには、何一つ弁明も釈明も許されませんでした。奴隷だったからです。ヨセフはそんなことをする男ではない。冤罪だ。しかし、そんなことは、ここでは通用しない。黙って頭を垂れるしかない。しかし、神はすべてをご存知。
随分酷い女主人と思うかもしれないが、もし、主人のポティファルが宦官(去勢された男性)であり、妻は形だけの処女妻だったと知れば、彼が妻の言葉に疑いを抱いていたことが分かるのです。「あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです」と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた(20節)とありますが、主人は表面上は怒りながらも温情を示し、ヨセフを王の囚人をつなぐ監獄へと移すよう命じたのです。そこは、王の囚人が入れられる監獄。ヨセフはこうして、監獄にいた。しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し…(21節)。どんな状況に置かれても、神はヨセフと共におられたのです。
