2025年10月12日
主日礼拝
①聖書の性質⑴現在起こっていることや読者の個人的なことまでも聖書は語ります。⑵聖書には命があります。聖書全体は有機的につながっている一つの命であり各部分は互いに保証しあっています。⑶聖書よりすぐれた本はないので聖書の正しさはただ聖書自身が保証します。聖書が正しいとわかるには心を開いて聖書を読む以外の方法はありません。
聖書の読み方⑴聖書には一見逆のことが沢山書いてあるので読み方次第です。聖霊によって読まなければなりません。読み方は自由であり正解が一つあるわけではありません。⑵飛ばさずに通読します。無駄な言葉は一つもありません。⑶解説書よりも聖書そのものを読みます。特に初めて読む方には、ぜひそうしていただきたいです。聖書は理解するものではなく読んで元気になるものです。毎日読み、生きる力にしましょう。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(マタイによる福音書4章4節) (中山C)
②使徒言行録4章10節:ナザレの人、イエス・キリストの名による。乗松雅休兄は「イエスを見よ」という題で、「あなたはこのイエスをご覧なさい。このキリストをご自分の救い主として信じなさい」と、語っています。私たちは、つい自分ばかりを見てしまいます。その結果、落胆します。そうではなく、目を自分からキリストに移すのです。それが信仰です。しかし、目に見えないキリストを見るには、どうすれば良いのでしょうか。主の御名を口にすることです。乗松にとって耶蘇(イエス)と言う名は、以前は最も軽蔑し、憎み、踏みつけるべき名前でした。それが最も崇められ、愛せられ、永遠に賛美される名に変わったのです。人ではなく自分でもなく、イエスを見よ、救いと解決はそこにあるからです。 (浜田)
礼拝讃美歌62番♫イエスの御名 聞けば 過ぎにし日の 君が悲しみと愛をぞ思う♪
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-10-12 中山兄、浜田兄(15:30))