2025年10月5日
主日礼拝
①ルカ5章1~11節:神の言葉を聞こうとして(1節)。神の言葉を聞こうとする心をもって、礼拝に集まる時、主はいつも教えてくださいます。
夜通し苦労して働いたが、何も取れませんでした(5節)、とシモンは言った。それでも陸へ上がると、すぐ網を洗います。すると主は舟を沖へ漕ぎ出すように頼まれます。プロの漁師としては、夜通し働いて獲れなかった魚が日中になって獲れるはずがないと考えます。しかし、お言葉ですから、と従います。この「しかし」が大切。すると大漁に。「主よ、私は罪深い者です」とペトロが平伏すると、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と召されます。伝道者の資格は、わたしは罪深い者です、と言うことです。以上、藤尾英二郎兄と私との二人三脚のような建徳に導かれたこと、感謝です。 (浜田)
②ルカによる福音書18章1~8節:このやもめと裁判官のたとえは、文脈から17章後半の御言葉(人の子の日、再臨の日、裁きの日が突然に来るという)が背景にあり、主が動揺する弟子たちに語られたことが分かります。神を畏れず人を人とも思わない不正な裁判官に、社会的に弱い立場にあるやもめが、自分を苦しめる相手を裁いてくださいと、ひっきりなしに訴え続けるため、遂にうるさくてかなわない(元の意味:目の下を殴られて黒いくまができる。自分に打撃を与えること)から、彼女のために裁判をしてやろう、と保身のために態度を変えさせたのです。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうかと主は言明し、励まされています。今の時代、日常の祈りの中で主の再臨を待ち望むことを忘れてはならないことを示され、またその時、地上に選ばれた信仰の民が一人でも多く残されることを祈ります。 (柴川)
礼拝讃美歌352番:果てしも知れぬ 浮世の海の 浅瀬荒波 巌の中を 主よ 水先の しるべしたまえ♪
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-10-05 浜田兄、柴川姉(24:30))