イスラエルはヨセフに言った。「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」「はい、分かりました」と、ヨセフが答えると、       (創世記37章13節)

10人の兄たちは羊の群れを率いて、草のある地を探して移動します。父ヤコブ(イスラエル)は息子たちの安否と、羊の様子を確かめるため、いつも傍に置いていたヨセフを使いに出します。上記の聖句は、2人の会話です。2~3日の予定で、ヨセフは戻って来るはずでした。ところが、思いもよらぬ永い別れとなってしまったのです。父と幼い弟ベニヤミンに手を振って、「行ってきます」と出て行ったヨセフ。当たり前に、同じ姿で帰って来ると父は思いました。しかし、そうはならなかったのです。いつまで経ってもヨセフは戻って来ません。同じことは、今も起きています。

朝、いつものように出勤するご主人を見送ります。帰宅時間になっても、帰って来ません。どうしたのだろうと案じていると、深夜、救急病院からの電話で、交通事故に遭って意識がない状態だと告げられます。そのまま亡くなります。朝、元気で「行ってきます」と出て行ったのに、今は変わり果てた姿に。言葉もなく立ち尽くしたと、後日、ご本人から「実は、こういうことがあったの」と打ち明けられました。本当に何が起きるか分からないことを覚え、主の手に委ねる思いで見送りたいものです。そして、日常の当たり前の暮らしを、一期一会の気持ちで過ごしたいものです。

ヨセフは移動を続ける兄たちを探します。
「ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談した。」(3717-19節)
そして、次の言葉が続きます。
「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう」(20節)。父も知らない所にいるから、日頃の憎しみが爆発します。殺してしまおうと相談します。ただ、長男のルベンだけは、それを阻止しようとしますが、彼の知らない間に、弟たちは行動に移してしまいます。雨水を溜める深い穴に、ヨセフを放り込んだのです。