初めに、神は天地を創造された。(創世記1章1節)

 この世界は偶然に出来たのではなく、それを創造された神が存在します。天地万物を創造された神です。天は目に見えない霊・心・愛を、地は目に見える物質や人間や動植物を表しています。この世界は天が示す世界と、地が示す世界から構成されています。地には壮大な宇宙から、顕微鏡でしか見えない微細な世界まであります。

~仏教には、この考え(天地創造の神)がありません。この世界は、最初から今のままの姿であったのだと教えます。悪も苦しみも最初から存在したのだと。そこからの救いと悟りを説いているのが仏典です。だから仏教は哲学だと言われるのです。~

初めにとは、すべての始まりです。理屈として、神を造ったのは誰かとの問いがあります。そうすると、際限がありません。無意味な議論に発展させないために、初めに、とあるのです。すべての始まりは神にあり、それ以外にはない、と聖書は冒頭で宣言しているのです。「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」(黙示録22章13節)と言われたイエス・キリストが、そこにいます。だからヨハネは「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と、福音書の冒頭1章1節に書きました。神が創造されるとき、「光あれ」と言葉を出されました。すると、光が生み出されました。だからヨハネは「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(1章3節)と書きました。

何かを造るとき、その目的や計画が先にあります。この世界は、偶然に出来たのではありません。明確な目的と計画がありました。それが神の御心です。神が最初に創造された世界は、調和と愛に満ちた素晴らしい世界でした。そして私たち人間は、神の像に似せて造られました。今の私たちも、そのように造られたのです。1人の人がこの世に生まれる(創造される)前に神のご計画があります。何をするか、成功するかしないかより以前のご計画です。それを知ることが信仰の始まりです。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝道者の書12章1節)。若い日に自分が神に造られた者であることを覚え、偉大な神が、この私を創造して下さった、と知ることが信仰の第一歩です。