2024年6月30日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マタイ5章43~48節:聖書が示す愛アガペーは見返りを求めない無償の愛です。それが神の愛です。それに近いのが、親の子に対する愛です。親は、子供の幸福を願い、無条件に愛を注ぎます。それでも私たちは不完全極まりない者です。そんな私たちに主が「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(48節)と言われたのは、完全=無条件の愛、無償の愛に生かされていることを覚えなさい、の意味です。相手が愛するに相応しい価値があるから愛するのではありません。だから、私たちは救われたのです。キリストの無私、無償の愛によってです。絵本『大きな木』の話。木と少年の話ですが、この木は自らを相手に与え尽くすキリストの姿を示しています。(浜田)
②コヘレト3章1-2節:何事にも時があり…すべて定められた時がある。生れる時、死ぬ時…。人生にはすべて神の定められた時があり、その定めは運命とは異なり神の御業が現れるため(ヨハネ9・3参照)であると、コヘレト(伝道者)は言う。先ず人生で最も重要な出来事、誕生と死が掲げられている。特に、死ぬ時について関心を持ったところ、作家三浦綾子の夫、三浦光世の著書を読む機会を得た。綾子が晩年重いパーキンソン病中に「私にはまだ死ぬという大切な仕事がある」(書名になった)と語り、静かに苦痛に耐えつつ、すべてを神に委ねられた最期と聖書の人物他の死に関連するエッセイ集。「イエス・キリストこそ十字架の重荷を背負い、死ぬという大いなる仕事をされた最大のお方」との結論に感動した。一方、神が定められた時を待つ我が身に、予期せぬ喜びの時(同信会で若き日に受洗した2人の姉妹の牧師と副牧師就任式、留学生だった青年が牧師になって渡米他)が与えられ感謝した。 (柴川)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2024-6-30 浜田兄、柴川姉(25:00))