2024年4月21日
主日礼拝
《建徳要旨》
①妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。(コロサイ3章18節)子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。(20節)奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。(22節)この手紙は、パウロの4つの獄中書簡(エフェソ、フィリピ、コロサイ、フィレモン)の1つです。ここではまず、家族について述べられていて、クリスチャン生活の基本は、家族であることがわかります。過越祭の規定:一匹の羊は一軒の家で食べ、肉の一部でも家から持ち出してはならない。(出エジプト記12章46節)また、ここで「仕えなさい」「従いなさい」は、ギリシャ語では同じ「ユパクオオー」という言葉が使われています。聖書には「人に仕えなさい」「教会に仕えなさい」という言葉が出てきますが、それは、決して奴隷のように言いなりなって従うという意味ではなく、意思と自由と責任を伴った選択なのだということを、この箇所から教えられたのです。(小林)
②サムエル下1章17-27節:主イエスは仕えられるためではなく、仕えるために来られ、弟子たちの足を洗い給仕された。そして、自分を十字架で殺そうと謀った者のために、赦しを祈られた。その気高いキリストを、ダビデは自分を執拗に殺そうとしたサウル王戦死の報に接した時、哀悼の歌で示しました。ああ、勇士らは倒れた、と。普通は、自分を殺そうとした憎むべき敵が死んだ、これで枕を高くして眠れる、良かった、となるもの。ところがダビデは違った。
更に9章を読むと、ダビデはサウル王の一族にまだ生き残った者がいるかと尋ね、ヨナタンの息子が一人生き残っていると知ると、復讐を恐れて根絶やしにするのではなく、反対に手厚く迎え入れている。このような王は歴史上どこにもいない。ダビデは罪深い者だったが、真に気高い心を示した。それがサムエル下1:17-27です。ここを読むたび感銘を受けます。礼拝に於いて、この気高いキリストに触れられるのは何と幸いでしょうか。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2024-4-21 小林兄、浜田兄 (21:50))