2024年3月10日
主日礼拝
《建徳要旨》
①ヨハネ15章1節:わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
能登の地震から70日も経ったのに、まだ断水が続いているというニュースを聞いたとき、示された聖句だ。これは主の譬え話。今まで短絡的に木に繋がってさえいればいいと思っていた。ところが、2節には繋がっていても実を結ばなければ切り落とされると。これは怖ろしい。主の前に差し出せる実なんかない。実を結ぶとはどういうことか。水は聖霊だ。主は自分の力で汲み上げなくても、枝である私たちに聖霊を送ってくださる。この流れを勝手に止めないこと。放っておくと「水垢」が溜まる。それを日々、洗えと主はヨハネ13章10節で命じられた。「水垢」を溶かすのが、御言葉と祈り。聖霊の流れをよくしておけば聖霊ご自身がガラテヤ5章22節に記された実を結んでくださるのだ。(人見)
②詩編47編2節:すべての民よ、手を打ち鳴らせ…。
有名な「幸せなら手をたたこう」の歌の作詞者木村利人さんは、国際的な生命倫理学者であるキリスト者で、戦後、大学院生の時WMCAフィリピン農村復興ボランティアに参加。当時、現地の人々は、戦争中の日本軍の残虐行為から、日本人を憎んでいた状況の中で、現地の青年と共に作業を続けていた或る日、一人の青年が、「君たちが殺したわけじゃない。僕たちが日本人を憎んで殺したいと思っていたのは間違いだった」とキリストにある友としての赦しと平和を誓ってくれた。共に手を取り合い涙を流して祈り読んだのが、この詩編でした。人々からも主の愛と赦しを態度で示されて、この歌が生まれました。罪を裁く律法から解放され、主の十字架によって敵意が滅ぼされて、主の平和が与えられたのです(エフェソ2章14~16節)。主に赦され救われた喜びを、心から態度で示しているかを問われます。 (柴川)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2024-3-10 人見兄、柴川姉 (27:45))