2024年2月11日
主日礼拝
《建徳要旨》
①Ⅰペトロ1章6~9節:試練、それは辛いものです。その中でも喜べるのは、①復活のキリストによって生き生きとした希望を受けているから。②試練はしばらくの間だから。③キリストを信じ、愛しているからです。愛が喜びを生みます。 私たちは不平や愚痴がつい出がちですが、どんな環境や状態に置かれても、喜び感謝し、きっと良くなる、神は最善以外にはなさらない、と信じます。それは8節:あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ちあふれています。ある人が言いました。「神がいるというのなら、見せてくれよ、そうすれば信じるから」と。しかし、見たら信じるとは言いません。見ないで信じるのです。ペトロは、キリストを見て信じ弟子となったのに、その信仰は挫折しました。ヨハネ21章15-17節この人たち以上に私を「愛しているか」と復活の主から問われると、ペトロは「主よ、それはあなたがご存知です」と言うしかありませんでした。問われているのは、キリストへの愛です。主が話された「愛しているか」はアガパオー、神の愛で愛しているか、です。それに対してペトロが口にした「あなたを愛している」はフィレオー、友人や人間としての愛です。主よ、私の愛は人間の愛でしかありません、と言ったのです。すると主は、3度目には、人間の愛であっても私を愛しているのか、と問い直されたのです。以上の原語の違いは、翻訳では示せない細やかな表現です。人は愛されて、初めて人を愛せるようになるものです。だから、私たちが神を愛するよりも先に、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして御子をお遣わしになられたのです。ここに愛があります。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2024-2-11 浜田兄)