2024年1月7日
主日礼拝
《建徳要旨》
①創世記5章21~24節:エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
神と共に歩む生涯は、人より短くても祝福された一生。インマヌエルのキリストと共に歩むことだから。そのことでエノクは、死の苦しみを味わうことなく、天へと移されました。しかし旧約時代、人は死ねば地下の陰府に降るのが通例でした。そうならなかったのは、彼が神と共に歩んだからです。神と共に歩むとは、神が私たちの速度に合わせてくださるのです(『時速5キロの神』と言われる意味)。こちらが疲れた時はゆっくりと、元気な時は速足で。そのどちらも主イエスの軛に合わせられて歩むのです。「エノクは主に喜ばれて天に移され、後世の人々にとって悔い改めの模範になった」(シラ44章16節)とあり、最初の子どもの誕生時に悔い改めるという、何らかの転機があったよう。ルカ24章13-16節:私たちは復活の主と共に歩みます。共に歩まれる主に気づくかどうかです。 (浜田)
②申命記2章7節:主は…この広大な荒野の旅路を守り、この40年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。
社会のスピード度化が加速度的に進み、効率が求められている時代に、「ゆっくり」はまだ意味を持つのか。その価値と思考をめぐる問題があります。この御言葉から『時速5キロの神』(小山晃佑著)の中で、「神は愛であるゆえにゆっくり歩みたまいます。…霊的な速度…『ゆっくりとした』愛の速度ゆえに他のすべての速度を追い越す」と新たに神の民となる世代を教育された記述が心に浮かびました。神は忍耐をもって罪を赦す方(民数記14:18)。人の歩みと共に歩いてくださる。御子イエスを乳飲み子として人の成長と同じ時間かけて救い主とされ、族長アブラハムの時代から2千年後に預言が成就。私たちは神の永遠の今に生きています(詩編90編4節)。 (柴川)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2024-1-7 浜田兄、柴川姉(20:00))