2023年10月22日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マタイ5章7節:憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。
憐れみとは同情や気の毒に思う以上の行動に表された愛。それを示されたのが主イエス様。重い皮膚病の人を深く憐れまれ、彼の悲惨な人生の全てを受け止め清めました(マルコ1:40-42)。憐れみは憐れみを生みます。人間関係も同じで、自分がしたように相手からされます。神は清い人には清く、心の歪んだ者には曲がった態度で接するのは(詩編18:26-27)、自分の姿に気づかせるためです。その上で、神はイエスに於いて人となられ、私たちと同じになられた。驚くべきこと。主は言われた。「恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6:35b-36)。恩知らずな悪人とは自分のことだと気づいた。そして、そんな私なのに受けた神の憐れみ深さに胸が熱くなった。 (浜田)
②Ⅱテモテ3章16節:聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
聖書は、紀元前1500年頃から書き始められ、紀元100年までの約1500年間に、約40人の著者によって書かれた66巻の書物を一つにまとめたものです。これほど年代も著者も異なっているのに、不思議な一貫性があり、矛盾がないのです。それは、奇跡としか言いようがありません。神の霊の導きに従って書かれたものだからです。そこには神から人間に宛てたメッセージ、つまりこの世の旅路の歩みについての教えが詰まっています。そこには神が御心によって計画されたこと、この世を創造し、人間をそこで鍛錬し、神と御子イエス様を信じる者に永遠の命を与え、天の御国に導き入れることです。しかし、人間はそれに背いて罪を犯し、滅びるほかない者になりました。しかし、神はそのような人間を憐れんでイエス・キリストを身代わりとして十字架にかけられました。それによって人は救われたのです。 (百瀬)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2023-10-22 浜田兄、百瀬兄(23:35))