2023年10月8日
主日礼拝

《建徳要旨》
マタイ5章5節:柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
柔和さには、ともすると弱々しい印象があります。しかし、主イエスが言われる柔和さは、弱さではなく悪や権力に屈しないで非暴力を貫く強さです。例えば、誰かに右の頬を打たれたら、打ち返す力と勇気があっても打ち返さずに左の頬を向ける強さです。優しさと強さを持つのが柔和な人です。「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。」(Ⅰペトロ2:22)と記された主イエスこそ、柔和な人です。インドを独立に導いたガンジーはこの言葉を実践した。アブラハムは土地を選ぶ時、優先権を甥に譲りました。地を受け継いだのは、欲深いロトではなく柔和なアブラハム。
詩編37編11節:貧しい人(柔和な人)が地を継ぐ。9節、22節。4わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。(マタイ11章29節)キリストと一つ軛になり学ぶなら、柔和さを得ます。   (浜田)

②ヨハネ19章1~16節:ヨハネ福音書にはピラトによる裁判が他より詳しく記されています。その中でのピラトの言葉。
⑴「見よ、この男だ」はラテン語で有名なエッケ・ホモ(この人を見よ)です。主の称号(神の子、人の子、救い主等)に加えて、最後に指し示された「この人」は「最後のアダム」を意味する言葉でした。最初のアダムは地に属する者、最後のアダムは天に属するイエス・キリストです(Ⅰコリント15・45)。私たちは主の十字架の救いを与えられて天に属する者になりました。
⑵「どこから来たのか」に対して主は答えられませんでしたが、既に18章33節で「わたしの国は、この世に属していない」と言及されています。裁く権限のないピラトの判決に従われ、鞭打たれて傷つき、侮辱された主のお姿で十字架の苦難を忍ばれた主の愛を心に刻み、天に属する者にされた恵みを感謝します。    (柴川)

    先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2023-10-08 浜田兄、柴川姉(27:00))