2023年9月24日
主日礼拝
《建徳要旨》
①祈りについて:熱心に祈っても神からの応答がないと、1,自分のような小さな者の祈りは聞かれないのではないか、との不安。2,やはり神様はいないのではないか、との疑い。それらに対して、1,キリスト教の神様は広大な宇宙を創造されただけでなく、小さな生き物の一匹一匹にも十分な愛情を持って造られた。2羽の雀の話(マタイ10:29,30)、100匹の羊の1匹が迷い出た話(マタイ18:12~14)がそれを示しています。神様にとって、完成するのに大き過ぎるものはなく、御心に留めるのに小さ過ぎるものもない。どんな小さな祈りにも、必ず応えてくださる。2,神を否定している人でも、自分に危機が迫ったり、重大な責任を負わされた時は、思わず大きな存在である神に祈ってしまう。これは、魂が与えられているからで、この霊魂によって神に助けを求めて祈る。その祈りは神に届いている。だから、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎだせ。(詩編62編9節) (百瀬)
②2コリント4章16節:わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。年を取りますと、誰もが加齢現象に直面します。外なる人=肉体と精神は衰えます。そのため落胆します。それは昔も今も同じ。そんな時は、内なる人に目を向けることですが、「外なる人」のようには目に見えません。内なる人は、私たちがキリストを信じた時にキリストの命が種として蒔かれ、芽生えます。そして成長し、必要な時には外なる人に向かって語りかけます。その語りかけの例が詩編42編で、「なぜ、うなだれるのか、私の魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め」と励まし慰めます。それは自分に語りかけているようですが、本当は、内なる人であるキリストが語りかけているのです。あなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせてくださるように。(エフェソ3章16,17節) (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2023-09-24 百瀬兄、浜田兄(20:00))