2023年9月10日
主日礼拝

《建徳要旨》
マルコ612節:十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ9:37)。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:19)。救われた者は伝道せよ、と主イエス様から求められています。主を知らない人は、主について聞いたことがないため、主を信じることができず、或いは主を信じることに反発したりします。ところで、世の大多数の人は自分の「死」について真剣に考える時、死後の世界が分からないため恐怖を感じるはずです。キリスト者は、ぜひ主を知って欲しいと願う相手と歓談している時に、機会を見て「死を話題にせよ」と主から導かれました。「主を信じている私は、私の死後も、私の魂は主の御許で永遠に生きるのだ、と主から知らされているので、死の恐怖は全くなく、希望と喜びに溢れている」と伝えると、その情報は相手の心に留まるでしょう。後は主にお委ねします。 (北原)

②創世218節:「人が独りでいるのは良くない」と思い、主は「彼に合う助ける者」を造られた。それはアダムが愛を体験するためだ。愛は独りでは成就しない。「彼に合う」とは「互いに向き合う」という意味。でも、向き合うと相手の弱さや欠点が丸見えになってしまう。だから結婚式のスピーチでは並んで同じ方向に向けと。一理あるが、相手の弱さや欠点を認めた上で、赦し合うのが本当の愛だ。次に「助ける者」。主は聖霊を「助け主」と言っておられる (ヨハネ14:16口語訳)。「助ける者」は助手ではない。いつもそばにいる者のことだ。また、アダムの骨から造られた「骨肉を分けた者」、彼と一体なのだ。だから、自分の弱さを隠す必要がない。恥かしいとも思わず、相手の弱さを責めることもしない。これが究極の人間関係だ。私たちの花婿としてご再臨になる主も私たちと向き合ってくださり、弱さをも受け入れてくださる。なんとうれしいことか。    (人見)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2023-09-10 北原兄、人見兄(14:30))