2023年8月6日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マルコ8章34節:自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
ここを読むとキリスト教は自分の命を懸けなければならないと思われて不安になる。そこを2つに分け、34節を弟子への言葉、次の35節を群衆への言葉と読む。
35節:自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
これは私たちが決して自分中心に生きないように、との教え。エフェソ1章4-5節:天地創造の前から神の子にする計画をされた神がおられるから、この世の利益や幸福や成功にしがみつくのではなく、その手を離し、主に委ねればよい。そうすれば神が私たちを支えて、必ず御国まで守り導いてくださる。それなのに私たちは神様から離れて行き、その罪のために滅びる者となった。そこで神様は私たちを憐れみ、御子イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。今、私たちがなすべきことは隣人への愛。 (百瀬)
②わたしたちに必要な糧を今日与えてください。(マタイ版)
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。(ルカ版)
私たちに必要なのは、日々の糧・食べ物です。2つの違いは、今日か毎日かです。ユダヤ人を対象にして書かれたマタイ福音書は信仰者の立場から、一日一日が神からの恵みであり、神に頼って生きるべきことを「今日」の一語で教えています。それに対して異邦人を対象にして書かれたルカ福音書では、毎日=一生になっています。
孫が1歳の時「一升餅」という風習を知りました。この子が一生(一升)食べ物に困らないようにとの願いが込められています。親は、この子が一生食べ物に不自由しませんように、と願うからです。ルカは私たち異邦人が一生、必要な糧に困らないよう願うことを知っていたに違いありません。そして、飽食の時代の私たちに必要な糧は、霊の糧である主の言葉です。その飢えと渇きが現にあることを、アモス8章11-12節から覚えます。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2023-08-06 百瀬兄、浜田兄(18:19))