2023年7月23日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マルコ5章20節:その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。
マルコ5:1~20から3つの事を味わわされた。
(1)主が示された2つのことで、1つは、人のいのちは二千匹の豚などよりはるかに尊い価値あるものです。今一つは、主は神の御独り子、神様だと何度も示されましたが、身近にお仕えした弟子たちでさえ、ペンテコステの日までそれを理解できませんでした。 私たちは聖書によりその全てを知らされ、感謝です。
(2)この世で私たちの戦いの相手は血肉ではなく、悪の諸霊です。聖霊に助けられて祈り、神の力によらなければ勝てません(エフェソ6:12)。
(3)伝道の本質は、自分が救われて喜び、わくわくして歩んでいるそのままを、情熱を込めて語ることです。悪霊から癒されて喜ぶこのゲラサ人の伝道により、その地方の多くの人が主を信じました。 (北原)
②マタイ5章3節:心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである。
主の目に映る幸いな人の最初は、心の貧しい人です。これがなくては天国に入れません。天国は心(霊)の貧しい人のものだから。8つの幸いは、神に信頼する以外何も持たない貧しさから始まります。その例が千利休の茶室。入り口は低く狭いので、自分を無にして低くなって入る。武士は身分を示す刀を外し、頭を低く下げて入る。天国の門も低く狭い、その道も細い。心の貧しい人に最も当てはまるのが、イエス・キリスト。主ほど霊が貧しく、謙遜な方はいない。ヨハネ5:19,30で、主は自分だけでは何もできない、と2回言われた。全能である主が言われたのです。驚くべき言葉です。更に、主はご自分の意志ではなく、父の御心を最優先にしています。それが心の貧しい人の姿です。自分の力だけで出来ると考え、神よりも自分を優先する姿勢ではありません。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2023-07-23 北原兄、浜田兄(23:50))