2023年7月2日
主日礼拝

《建徳要旨》
ローマ6章35節:「洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。」「キリストと一体になってその死の姿にあやかるならば…」「あずかる (与る)」と「あやかる (肖る)」はよく誤用されるようです。「あずかる」は恵みとしていただくという意味。お招きにあずかるなどと使います。また、「あやかる」は似るという意味。肖像画の肖の字です。さらに、「キリストと一体になる」は、接ぎ木をしていただくという意味の言葉です。ロマ6:8には「キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きる」とあります。これはキリストと同様に十字架にかかれと言っているのではありません。十字架はキリストだけで充分です。洗礼によって、キリストの死をいただくことができ、キリストに似た者とされるというのが冒頭の御言葉だ、と教えられました。それはキリストに接ぎ木をされるからだ、と。だから、洗礼はキリストと共なる死を表すお葬式であり、キリストとの結婚式なのです。   (人見)

②マタイ62831節:主イエスが見なさいと言われたのは、今日は生えていても、明日は燃える炉に投げ込まれる儚い草です。雑草のように抜かれて捨てられるが、そんな草花を注意深く観察したら、栄華を極めたソロモンも、この花の1つにもかなわないことが分かる。そんな取るに足りない者を装ってくださる。それならましてあなたがたにはなおさらのことではないか、と主は言われます。これは驚くべき視点です。ヨハネ1015羊を番号ではなく、名前で呼ばれるのが良き羊飼い。羊の先頭に立って、詩23編のように導いてくださる。その時も、ひとり一人を名前で呼ばれます。私たちも自分の名前を主に呼ばれて、ここに招かれたのです。法医学者カッターネオ教授は、地中海で遭難死した移民・難民の身元不明遺体に接し、顧みられない人々の名前を特定し家族の許に返す働きをされています。名前で呼んでくださる神の御手が、彼女と共にあります。   (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2023-07-02 N・H兄、K・H兄(15:00))