2023年6月18日
主日礼拝

《建徳要旨》
ルカ152532節:有名な「放蕩息子のたとえ」ですが、感動的なこのたとえに、なぜ兄が登場するのかについて考えてみます。まず、このたとえは、罪人とファリサイ人の両方に向かって語っています(ルカ15章1-3節)。弟が帰ってくると兄は怒りますが、その理由は、父の所有物を自分で支配したかったからで、それは、弟が欲しかったものと同じです。また中途半端な終わり方は、「ファリサイ人に向かって、あなたならどうしますか?」という問いかけで終わっています。では兄はどうすればよかったのか?兄の行為には罪はないが、その動機は父に従う気のない、おごり高ぶった心。その心を兄も弟と同じように悔い改めることが必要だった。「放蕩息子のたとえ」は、罪人だけではなく、おごり高ぶったファリサイ人も祝宴・イエス様に招いています。だからこのたとえには、兄も必要なのです。このたとえの弟の救いだけでなく、もう一つの兄へのメッセージを受け取ることで神の偉大さ、愛の大きさをより深く悟ることができるのです。(H・K)

マルコ11620節:イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。ローマの支配下でユダヤ人は前途に希望無く、ローマを倒して自由を与えて下さるメシアの出現を待つことしきりでした。四人の漁師が主様に召されてすぐ従ったのは、神様の御働きがあったからです。神様は天地創造の前に彼らをキリストにおいてお選びになり、彼らが主様を信じて救われるようにして下さった(エフェソ1:4―5、2:8―9)。更に、常に父神様に祈りその御心に従って行動された主様が、父神様に祈ってこの漁師たちを選び、お招きになったのです。この個所から私は、私たち信仰者も彼らと同様主様に選ばれ、主様を信じる者とされた、誠に光栄極まりなき者だと思いました。聖書により神様の素晴らしさ、一方私自身の罪深さを知ると、救われた喜びがいや増すのです。どうぞ聖書をよく読む者にして下さいと祈っています。(重)

  先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2023-06-11 H・K兄、S・K兄(20:00))