2023年4月16日
主日礼拝

《建徳要旨》
ヨハネ1010-11節:私が来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
神と断絶して罪の中に死んでいた私たちを救い、生かすために主イエスは十字架で死なれました。ご自分の命を信じる者に与えるためです。私たちは信仰によって、その命をいただいたのです。ヨハネは第1の手紙で、イエスは私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りましたと愛の極致である十字架の死を記しています。
命より大切なものはありません。死んだら終りだからですが、その命もいつか終わります。そこで、神はもう1つの命ゾーエー(霊の命)を示し、イエス・キリストを信じる者にはこの命が与えられました。私たちも永遠の命、復活の主の命を聖霊としていただいています。それなのに、そのことに気がついていません。それはエマオへの道を復活の主と語り合い、共に歩きながら主に気づかなかった2人の弟子のようです。今、その主の命によって生かされていることが恵みであることを覚えたい。  (K・H)

ヨハネ3章16,17節:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
今朝、東中野から来たが、途中の教会から出てきた女の子が、「お母さん、今日のお話は神は愛ということよね」と、話すのを耳にした。神は愛なり,です。なぜなら、神は一番大事な独り子を犠牲にする程、世の人々を愛されたから。でも、愛だけで良いのか、裁きがあるではないか。それに対して17節では、神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく救うため、と書かれている。では、どうして愛が大切なのか。ヨハネ15章12節に、互いに愛し合うことは「私の」と言われているから。更に17節では、「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」となっている。掟以上の命令になっている。そんな事を思わされた。 (T・M)       

  先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2023-04-16 K・H兄、T・M兄(18:16))