2023年3月12日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マタイ5章4節:悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。
喜んでいる人ではなく、悲しんでいる人がどうして幸いなのでしょうか。
Ⅱコリント7章10節:神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
悲しみには2種類ある、と読めます。神による悲しみと、この世の悲しみです。その違いは、救いを得させる悔い改めに導くのか、絶望して死(自殺)に至るのかです。罪を悲しみ、同じ過ちを繰り返す罪人でしかありえないことを悲しむ。その時、自分よりもっと深い悲しみの中で、私たちを支えてくださっているイエスキリストに気づくのです。その悲しみによって、主イエスへと導かれ、真の慰めを与えられるゆえに幸いなのです。悲しみの人で、死に至る病である罪を知っておられるイエス・キリストの許に、日々立ち帰り、真の慰めを与えられる幸いな者でありたい。 (K・H)
②詩編23編:この詩がどうして詩編の中で最も多くの人に愛唱されているのかを学んでみたい。文章や言葉の美しさに加えて、神様はどのようなお方なのか、私たちを愛してくださる神様の御心は何かと言う信仰者にとって最も大事なこと、最も知りたいことの全てが短い詩の中に凝縮されているからだと思うのです。主は創造主として、私たちを限りなく愛してくださり、私たちが渇いている時は憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださいます。そして、一番大事なことは、私たちが天の御国に入ることだと教えています。その御国に向かう途中、死の陰の谷底に落ちても、神様が共にいて、共に歩んでくださることを知ります。更に、神様は敵を追い払う鞭、私たちを支える杖をもって力づけてくださいますダビデは詩の最後に、命のある限り、主の家に私は帰り、生涯、そこに留まるであろう、と綴って、私たちも天の御国に帰るようにと励ましているのです。 (T・M)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2023-03-12 K・H兄、T・M兄(19:37))