2023年1月29日
主日礼拝

《建徳要旨》
①イザヤ4421~22節:イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
神は、私たちが悔い改めたから背きと罪を赦すのではなく、先に赦している。それゆえ悔い改めが自ずと生じる。イザヤの言葉の順序がそれを示す。私は神を持たない 神が私を持っていてくださる重要なのは私がどうかではない。私が神を忘れても、神は私を忘れない、私が神を分かっていなくても、神は私のすべてを知っておられる。それで十分ではないのか。コリント62:恵みが先で、救いはその後。私たちが何か善をしたから救うのではない。キリストが私たちの代わりに贖いをされたから、恵みによって救われる。赦され、愛されるから悔い改めるのです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。神には過去も未来もなく、永遠の今だけがある。しかし私たちは過去の罪に囚われ、まだ来ない明日の事まで思い煩う。そこにも神は共に在すが、キリストと一つにされて、今、生かされていることを喜び今だけに集中して生きる者でありたい。 (K・H)

②ルカ171119節:この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。
戻って来なかった9人は病を癒され、今までの惨めな隔離生活から解放され、大喜びして、そのまま町に飛び出していったのでしょう。しかし、大喜びしてイエス様から離れて行ったのは、何と勿体ないことでしょう。尊い神様の御子であるイエス様は、この世の肉体の癒しだけでなく、霊魂も共に救ってくださる御方だからです。戻って来なかった9人は、このことに気づかず肉体の癒しだけで終わってしまったのです。しかし、1人だけ神を賛美し、喜んで感謝するために戻って来たサマリア人(外国人)は、「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。他の9人は霊魂が救われ、天国で永遠に生きられる命をもらいそびれたのです。このことは決して他人事ではないのです。祈りに答えて下さるだけでなく、常に共に居てくださる神だからです。申命記31章6節。フィリピ3章20節。   (T・M)

  先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2023-01-29 K・H兄、T・M兄(17:21))