2023年1月22日
主日礼拝
《建徳要旨》
①ヨハネ1章14~17節:わたしたちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(16節)
イエス・キリストが人として地上に遣わされたのは、私たちを祝福し、恵みの上に恵みを注ぐためです。しかし私たちにはこの世で苦難があり、経済的な困難や老化による病などが望まないのにやって来ます。そうであっても、キリストを信ずる者には、恵みの上に恵みが既に与えられています。それを味わったヨハネは感謝と喜びをもって16節を書きました。生来の私たちは神に祝福されるには、それに相応しい生き方や働きが必要だと考えます。それが律法です。そうではなく、恵みと真理=福音はイエス・キリストを通して現れ、私たちがどうかではなく、キリストがしてくださった事を根拠に祝福されます。だから恵みなのです。それも半端ない恵みです。キリスト者とは何と幸いな人々でしょうか。 (K・H)
②Ⅰテサ5章16~18節:いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。今日の建徳を伺って感じたことを短くお話ししたいと思います。私は主から数えきれないほど多くの恵みをいただいています。それなのに、なんと感謝が足りないことかとあらためて思わされました。先ほどはパン裂きに与かりましたが、主は間もなく、十字架にかかるというのに、感謝の祈りをささげられました。私はどれほど感謝してパンと杯とをいただいているだろうかと自問しました。「いつも落ち込んでいなさい。絶えず恨みなさい。どんなことにも不平を言いなさい。これこそ、わたしがあなたがたに望んでいることです」なんていうサタンからの手紙が届いたら、すぐに送り返そう。でも、受け取ってしまっても、それを赦してくださる愛の主がいつも共にいてくださるのだから感謝だ。そう思いました。 (N.H)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2023-01-22 K・H兄、N・H兄(14:40))