2022年11月27日
主日礼拝

《建徳要旨》
①ローマの信徒への手紙10:10~13節: 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。高校の世界史の授業で先生が、「世界で一番読まれている本は聖書だ」と言われ、本当にそうなのかを調べました。そして、クリスチャンの友人に誘われ教会の礼拝に、更に、hi-b.a夏のキャンプで福音を聞き信じました。その後、オーストラリアでのワークホリディ(8ケ月)で、神様無しには生きられないと気づき、信仰告白をして日本人教会で受洗。その時、与えられた聖句が最初にお読みしたローマ10章10~13節です。今、東京基督教大学で学んでいます。 (H・T)

②ルカによる福音書1章26~38節:マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」これは受胎告知を受け入れたマリアの言葉です。頭で理解できなくても、神に出来ないことは何もないと信じました。マリアが選ばれたのは、身分も低く取るに足りないとの自覚を神が受け入れたからです。そのような人の中に、キリストは宿られます。私たちも同じです。(K・H)

③ルカによる福音書10章38~42節:信仰の2つのタイプについて。
1つはマリアが示す御言葉を聞いて喜ぶ信仰です。もう1つはマルタが示す確信の信仰です。ヘブライ11章1節。
2つの信仰の弱点ですが、まずマルタの方は迷わず自信を持って行動するため、時に人間的な思いに先走りしやすい点です。それに対してマリアの方は、じっと座り込んでしまいがちですが、ヨハネ12章1~7節に示されたマリアの信仰=他の弟子たちも分からなかったイエス様の死を感じ取っていた点です。信仰にはこの2つのタイプがありますが、聖書は両方とも大事だと教えています。私たちがもしこの喜びの信仰確信の信仰の両方を身に着けることができれば、2つのタイプの弱点は消えてしまう。つまり「喜びの信仰」が自分だけの喜びにならないで、その喜びを外に拡げていく行動力が与えられます。また人間的な思いで行動するのではなく、御言葉を聞いて喜ぶ信仰に導かれるからです。  (T・M)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

(建徳 2022-12-11 H・T姉、K・H兄(7:29)、T・M兄(28:10))