2022年12月18日
主日礼拝
《建徳要旨》
①ルカによる福音書1章13節:「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む」と、
天使から告げられた祭司ザカリアはとても信じられませんでした。高齢になっていた彼は、「まさか、子が生まれるなんて」と思ったのです。もう一人、「まさか、子が生まれるなんて」と驚いた人がいます。それはマリアです。この点では同じです。
では、「ザカリアのまさか」と「マリアのまさか」の違いは何だったのでしょうか。ザカリアは長年、祈り願っていたこと。マリアにとっては困ったことです。
ところが、ザカリアは信じられませんでした。なんと「証拠を出せ」と迫ったのです。一方、マリアも一旦は「どうして?」と思いましたが、それが神さまの御心だと知らされて、すぐに、「お言葉どおり、この身に成りますように」と受け入れたのです。ザカリアが高齢出産という「こと」を信じようとしたのに対して、マリアはそれが主のお言葉だと聞いて、「こと」の背後におられる「かた」を信じたのです。
イエスさまは、子供のように神の国を受け入れなさいと言われました。それは「こと」を信じないで、「かた」を信じなさいということです。「こと」を信じようとすると、ザカリアのように、識見や経験が邪魔をして信じることができません。子供はまだ、邪魔をするものがありませんから、「かた」に目を向けやすいのです。だから、年端も行かないマリアは「かた」に目を向けることができたのです。私たちの周りにもいろんな「こと」が起こります。でも、いつも「かた」に目を留めていたいと思います。だって、この「かた」はいつも変わることなく、私たちと共にいてくださり、最善をなしてくださる「かた」なのですから。 (N・H)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2022-12-18 N・H兄)