2022年11月27日
主日礼拝

《建徳要旨》
創世記4524節:兄弟たちを送り出すとき、ヨセフは「途中で、争わないでください」と言った。なぜそう言ったのか。
弟のベニヤミンにだけ5倍も多く与えたからではないのか。そうしたのは同じ母だからなのか。少し前に無実の罪を負わせて監禁した償いなのか。聖書は小説みたいにヨセフの気持ちが書いてないから、推測するしかないけれど、多分、22節のようにベニヤミンにだけ特別多く与えたからかな等と考えました。
私たちの人生にも色々な苦しみがありますが、振り返って見ると、それらが神のご計画の中の1つのピースとして必要な事だと分かるのです。 今日は東京集会の礼拝に出て、10月の講習会のお礼を言いたいと思っていました。集合写真を見せてもらいながら、皆さんが輝いていると感じました。神様の目にはこのように写っているのです。『海嶺』の舞台訪ねた主の家族 集合写真は黄金の穂波。    (Y・N)

② Ⅱコリント4章7~11節わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。
私たちは土の器です。落としても壊れない鉄の器ではありません。年を取ると体は弱り、病にもなります。大事なのは目に見える土の器ではありません。その中に入れられた宝です。それはイエス様の命です。信じた時、神からその命を頂きました。その命には並外れて偉大な力、信じられないほどの大きな力があります。だから、目に見える土の器(外なる人)よりも、目に見えない宝(内なる人)に注意を向けることです。   わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです(4章18節)。私たちはどうしたら良いか分からず途方に暮れたり、打ち倒されることもあります。しかし,その都度、起き上がります。それは、いつもイエスの死を体にまとっているからで、イエスの復活の命によって立ち上がることができるのです。 (K・H)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

(建徳 2022-11-27 Y・N姉、K・H兄(12:30))