2022年11月20日
主日礼拝

《建徳要旨》
創世記22章6節:アブラハムは言った。「…私と息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる」。
礼拝って何?アブラハムは息子イサクを神に献げようとしました。献げるのが礼拝だからです。そして、アブラハムがイサクを返してもらったように。献げた者に神は豊かに報いて(返して)下さいます。献金はいけにえを献げるのと同じです。賛美も献げ物です。イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう(ヘブライ13章15節)レビ記には献げ物が定められ、動物が礼拝者の身代わりとして屠られました。新約聖書では、動物ではなく神の子イエス・キリストが献げ物となられました。私たちが罪から救われて生きるために、キリストの命が献げられました。ローマ12章1節:自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。他の何かでなく自分自身を献げること、それが礼拝です。 (K・H)

ネヘミヤ節:彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げた・・・民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。  ネヘミヤの祈りを聞かれた主は、ペルシアの王をして、ネヘミヤに命じてエルサレムの破壊された城壁の修復作業をさせた。ネヘミヤはサタンと闘い、部下たちに、絶えず主に祈り武器を帯びたまま修復作業をするようにと命じた。城壁修復の完成後、捕囚から帰還した民と、捕囚は免れたが長年苦しんだ民の全員が集まった。律法の書が、皆が理解できるように翻訳されつつ朗読された。聞いていた民は皆、自分の長年の背神の罪、変わらぬ主の愛、を深く思わされて泣いた。聖書の御言葉には力がある。主が与えて下さったこの聖書のみが、全ての人に唯一の主なる神の素晴らしさを悟らせ、救いに導いて下さる書なのだ。全巻を何度も通読し、御言葉を心に蓄え、主を深く知りたい。   (S・K)


先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

(建徳 2022-11-20 K・H兄、S・K兄(19:57))