2022年11月13日
主日礼拝
《建徳要旨》
①サムエル記上1章15節:ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」。このように言ったハンナは周囲の誰にも理解されず、孤独でした。夫のもう一人の妻ペニナは、ハンナの敵で子どもを産めないハンナを役立たずと蔑みました。夫のエルカナは優しいのですが、ハンナの本当の苦しみを理解できません。さらに、祭司エリもハンナの祈りを、酒に酔っていると間違えます。そのような状況の中で、ハンナは主だけを求め、主の御前に心を注ぎ出す祈りを献げます。心、それは魂であり命です。人格のすべてを注ぎ出す祈りです。そうした祈りができるのは、全生涯を通じて心と命を私たちのために与え尽くしてくださった御方を覚えるからです。その御方である主イエスは命を注ぎ尽くし、罪人である私たちのために死んでくださいました。それを覚えるから、私たちもハンナのように自分の全てを注ぎ出して祈れるのです。
そうした祈りの結果、ハンナの暗く悲しかった表情はなくなり、爽やかな明るい顔になりました。祈りは物事や状況を変えると言われますが、実際には祈る人を変えます。だから、周囲の無理解さは何一つ変わらなくても、ハンナ自身が変えられ、それによって物事や状況が変わったのです。それには、祭司エリの言葉も励みになったと思われます。だから、祈り求めたものの結果はまだ出ていなくても、「私の祈りは神に届いている」と確信できたのです。私が追い求めているのは、ハンナのように心を注ぎ出す祈りです。そして、祈りの人であった主イエスにつながる祈りです。そのような祈りを神に献げたいと願います。「民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ」(詩編62編9節)。 (K・H)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2022-11-13 K・H兄)