2022年10月23日
主日礼拝
《建徳要旨》
①Ⅱコリント12章1~10節:主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ発揮されるのだ」と言われました。
とても不思議な言葉ですが、私が弱く無力な時こそ神の力は発揮されます。だから、私が弱いときこそ強い。スラム街で働く若い神父が「何をやってもうまくゆかない。自分には宣教の使命を果たす力がない」と、自分の無力さをしきりに訴えると、マザー・テレサは「神は空っぽのものだけを満たすことができます」と返答しました。自分の無力さを嘆く必要はなく、むしろ、無力で、何も持っていないからこそ、神はあなたを恵みで満たすことができる、と気づくべきなのです。それを別の言葉にすれば、「神の手の中の小さな鉛筆」になること。本来、私たちはそうした者だから。私という小さな鉛筆を神が使って、神が描くのです。キリストの力が私を覆い私に代わって働かれるのです。 (K・H)
②ヨハネ15章5節:わたしはブドウの木、あなたがたはその枝である。…私を離れては、あなたがたは何もできない。
聖書は、主イエス様はぶどうの幹であり、私たちはそれにつながっている枝であると教えています。ここには「私を離れてはあなたがたは何もできない」との驚くべき御言葉が書かれています。私たちはイエス様から離れて、人間的な思いだけで何かを成し遂げたりはできないからです。更に7節にも、信じがたい驚くべき御言葉が語られています。「私の言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる」と。なんでも願えばかなうのです。その条件は、その人がイエス様につながっていて、主イエス様から命の水を頂き続けていることです。その結果、神様に喜ばれる御心を、まず第一に願い求めるようになります。
Ⅰヨハネ5章14節:何事でも神の御心にかなうことを私たちが願うなら、神は聞き入れてくださる。何とうれしい、何と勇気づけられる神様の約束でしょうか。 (T・M)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-10-23 K・H兄、T・M兄(19:15))