2022年10月30日
主日礼拝
《建徳要旨》
①ヨハネ1章1節:初めに言があった。この聖句をギュツラフと音吉たちはハジマリニカシコイモノゴザルと訳しました。「言」、つまりギリシア語の「ロゴス」を「カシコイモノ」と訳した経緯は三浦綾子著「海嶺」に記されており、10月28日から開かれている聖書講習会でも詳しくお話しがありました。出席しなかった皆さんも、ぜひ、ネット配信を御覧になってください。
さて、ヨハネは他の3つの福音書に比べて「愛」という言葉が多く使われています。でも、この時代、「愛」も一般にはあまり使われていない言葉でした。だって、太刀を下げたお侍さんが「愛してます」なんて、似つかわしくありません。「愛」は何と訳したのでしょう。ヨハネで初めて「愛」という言葉が出てくるのが3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」という有名な言葉です。ギュツラフたちはこの「愛」を「御大切」と訳したのです。
ところで、私はこれまで違和感を覚えていた聖句があります。それはイザヤ43章4節の「わたしの目にあなたは価高く…あなたを愛し…」という神さまの私たちへの愛を伝える言葉です。理屈っぽいかも知れませんが、「価高く」というのは、値段が高いという意味です。でも、神さまの愛は無限であり、プライスレスです。神さまは私たちを値段のつけようのない、掛け替えのないものとして愛してくださっているのです。その意味で「御大切」はまさしく名訳だと感心しました。私たちを「大切なもの」として、御自分の命に代えてまで、滅びの道から救い出してくださったのです。私たちは神さまから大切にされているのです。 (N.H)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2022-10-30 N・H兄)