2022年10月9日
主日礼拝

《建徳要旨》

①ルカによる福音書14:15~24
神の国が盛大な宴会に譬えられてています。それは礼拝の雛型です。礼拝は神に招かれるものだから。宴会=晩餐会で、最高の食事が提供されます。神は私たちを招き、共に喜びの時を持ちたいのです。天皇が臨席される宮中晩餐会は厳粛でありつつ、素晴らしい至福の時間です。それなのに招待された者たちは、次々に断ります。理由は病気や家族の死などではなく、口実です。それは大変失礼なこと故、家の主人(神)は激怒します。招待された客=ユダヤ人、代わりに招かれた客=異邦人です。彼らは貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人たちでした。それでも、「なお余りの席あり」です。そこで主人は、誰でも良いから無理にでも連れて来るよう命じます。無理にでもとは、その人たちが「とても私たちなど資格も身分もない」と後ずさりするからです。それはまた、強いられた恩寵を意味します。恵みは強制されるもではありませんが、そこにも神の恵みが示されています。これは譬話です。

神は私たちを礼拝に招いておられます。私(神)の食事を味わう者となり、喜んでほしいからです。それが神の願いです。礼拝でのパン裂きに於いて主の御命に与り、御言葉による豊かな霊の糧を受け、喜び賛美することです。

私たち誰もが幸せを感じるのは、美味しい物を食べたり飲んだりした時です。永続しないとしても、それが実感です。24節で、わたしの食事を味わう者と、あります。毎週の礼拝に於いて、神の食事を味わう幸いな者になりたいものです。その招きを、色々な理由で断っていないでしょうか。私たちの礼拝室には幾つもの空席(余りの席)があります。神の国にはどんな人も招かれています。礼讃461番を賛美します。

♪③全てのもの備わり「なお余りの席あり」恵みの座に 疾く来たりて 救い主に見(まみ)えよ。♫     (K・H)

 

        

 

      先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-10-09 K・H兄)