2022年9月18日
主日礼拝
《建徳要旨》
①コリントの信徒への手紙二4:16~18:だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。
老いは厳しい現実。衰え行く心身。人の名前が思い出せない、物忘れがひどい等。老いは誰にとっても初めての経験です。他人事だったことが、自分事になるのです。そうすると大抵は落胆します。若い頃はこんな事なかったのに、と。年齢を重ねると目に見える「外なる人」は衰えます。しかし、キリスト者には日々新しくされている見えない「内なる人」が与えられています。それは、どういうものでしょうか?ヒントになるのが7節です。
わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために。土の器=外なる人でもろくて壊れやすい。それに対して、内なる人=宝で、内住のキリストです。人は死ねば灰と化しますが、内なる宝は宝石のように火で焼かれても無くなりません。日々新たに命が更新され続けます。永遠の命だからです。そこに目を留めるなら、心身がどんなに衰えようとも落胆しません。今もキリストは、御自分を信じる者の内に偉大な力を持つ命として生きておられます。それが内なる人です。高齢化の故に、つい若い人を求めますが老いても希望と夢を持つ素敵な年配者が集う所でありたいものです。聖霊が降ると、若者は幻を見、老人は夢を見る、と預言されています。老いの坂を上り行き、私と共に老いて行こう最善はこれからだ、と言える人に。色々な事を忘れても、イエス様に救われたその愛は忘れない。同じことを何度も言う様になっても、愚痴や悪口ではなく、人への感謝とほめる言葉を繰り返す人になりたい。エフェソ3章16~19節を祈ります。 (K・H)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-09-18 K・H兄)