2022年9月4日
主日礼拝

《建徳要旨》

ヨハネ316節:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。乗松雅休兄(1863~1921年)が朝鮮に赴いたのは何故なのか。当時の朝鮮人に対する彼の愛に満ちた生き方は、多くの人に深い感銘を今なお与えています。愛は言葉よりも生き方(行動)で伝わります。百年前、蔑まれていた朝鮮人と同じ衣服を着、貧しい暮らしをしてキリストの福音を伝えました。韓国水原に今もある乗松兄姉の記念碑には、生為主 死為主 始為人 終為人 其生涯忠愛…と刻まれています。それは主イエス様を指し示した生き方です。「イエス・キリストは神であるのに、人となられた。この愛に励まされて乗松兄は朝鮮の人を愛しました。世の中に英国人や米国人になりたい人沢山あります。けれども乗松兄は朝鮮人になりました。この愛はいかなる愛でしょうか。この愛で人を愛し、福音を伝えるのが伝道です。そのことを、乗松兄から教えられました。
Ⅰテモテ11416:罪深い私が憐れみを受けたのは信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。
確かにパウロも乗松兄も、私たちの手本です。ですが手本であると同時に見本です。見本と訳されてもいます。見本は誰でもなれるサンプルです。それは、罪人の中の罪人だとの意識から出て来ます。乗松兄を偉人と呼ぶなら、私はそんな者ではないと否定したでしょう。私はキリストの愛に魂を刺し貫かれたから、そのキリストに倣っただけです、と言ったでしょう。乗松兄が天に召されてから百年になります。このような先輩兄弟がいたキリスト同信会を愛しつつ、ではお前はどうなのか、と自問しました。信仰は薄く弱い、愛も少ないと低くされます。  (K・H)

 先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2022-09-04 K・H兄)